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こえにならない、こころのこえ

人の看護をするということ。



なんだかふと思うのです。

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看護をするって、本当に自分を試されているなぁって。

患者さんの苦しみを100%わかってあげることはできない、接する度に無力感を感じます。

病院に身体も心も依存して、自分で治すことを忘れてしまう患者さん。
何を言っても、今の苦しみをなんとかして欲しい、その想いでいっぱいの患者さん。
私たちが他の患者さんを看ていようが、業務をしていようが、お構いなしに呼んでくる患者さん。

看護師から見たら、我が儘でクレーマーみたいな患者さんをお世話していて。
色んなことを思ったのです。

この人のつらさをわかってあげられない。
この人の苦しみをとってあげられない。

一晩中罵倒されながらも温庵法をして、肩を揉んで、背中をさすって、つらいですよね、そうですねって話を聞き続けていました。

それでもずっと苦しくて私に文句を言って、
救われない自分の境遇を嘆きながら。

夜中、ふとしたときに、
「ありがとう…」
って言ってくれたんです。

どれだけつらくてもありがとうと言える、その一言とその心が、すごく嬉しくて、それをそのまま伝えました。

次の日の朝には、少し穏やかになって、何かをする度にありがとう、と言ってくれるようになって。症状は変わらないだろうに、もう怒鳴ることはあまりありませんでした。
あんたは明日お休みなのね、いいわね。
なんて嫌味をいいながら。
帰るときに挨拶に行ったら、またありがとう、と笑ってくれました。

結局その人のつらさは変わらなくて、
私の心だけが救われました。
そのことにまた無力感を感じるのです。
あーぁ、って。

「先輩の看護師さんみんな尊敬します!」って1年生に言われて、「ね、私も尊敬するー!」って話しながら帰りました。
学生の時から何度看護師に向いてないなぁって苦しんだだろうって。

患者さんだけじゃないよなぁ。
苦しんでいる人を前にしたときいつも。

毎日試されている。
今日も試されている。

少しでも苦しみと向き合う力を持てますように。
私も、患者さんも。
何かに依存するのではなく、その根本に向き合う心を持てますように。
その力が奪われてしまいませんように。



薬じゃなくて、病院じゃなくて、
依存させるんじゃなくて、
誰かを助ける力が欲しい。
誰かを支える力が欲しい。


夜勤明けの天気のいい日は最高だー。