症状を受け取る心
先日キャンプ場を貸し切ってビアホールをみんなで作りました。
救護班として参加させていただいたのですが、普通に楽しんでしまった!
自然に癒されたけど、人がいっぱいで疲れちゃったー。
そこですごく面白い学びがありました。
と同時に、私の人間としての未熟さを痛感したのですが…。
大自然の中のキャンプ場。
参加者の何人か、女の子たちの足が虫に喰われたのですー!!
まぁ予想できる出来事ですね。
私も両足やられました。
かゆかゆ。痛い。ぷくぷく腫れる。
まぁ冷やして様子見るほかないですし、
医者にかかっても痒み止めと炎症を抑える薬でおしまいだろうし、
なにより私は自分の身体の機能をよくわかっているので
「大丈夫!今は症状を出す必要があるとき。そのうち治る◎」
と気にせずその日を楽しんでいました。
ですが、別の女の子は
「痒い!汁が出てきた!」
「腫れがどんどん大きくなる!」
「どんどん痛くなる!!!」
「救急に行った方がいいかなぁ?」
と大騒ぎ。
周りもみんな心配する同情する。
でも正直私が今できるのは冷やすことくらいなんです。
だって虫いるの知ってて足出してたんだし仕方ないよ(冷たい←)
救急に行ったってろくな薬出されないし(酷い)
心のなかでごめんねと思いつつ。
面白いなぁって。
「医者に診せたほうがいい」
「薬を塗ったり対応してほしい」
「なにもしないとどんどん悪くなる」
既にそういう思いが根底にあるので、なにか対処して症状を治さないと安心できないんですね。
私が「大丈夫だよ」と言っても聞こえないし、
「私も同じ症状だよ」と見せても、見えない。
自分がつらい、痛いで精一杯。
さらにその子の性質が、
常に「アテンションプリーズ!!」
なんです。
馬鹿にしてるわけではないよ。
でもそれは、小さな子どもと一緒なの。
私を見て愛してほしいし、何かをしてほしいんです。
その人の心が「何もしなくても治る!大丈夫!」って思えないと、
不思議なんですけど症状もあまり良くならないんですよね。
症状ってそりゃぁなかったら嬉しいけど。
必要だからそこにあるんです。
そして自分の力で治すには、忍耐が必要。
忍耐できずに薬に頼るならば、それ相応の負担を身体に。
ぜんぶバランスです。
でもね、私が未熟だったのはその彼女の性質もわかりながら、
それに合わせた対処をしてあげられなかったこと。
冷たい心で見放すのではなくて
その子をもっとちゃんと見てるよって伝えて、
何か対処する手段を他に持てば良かった。
私の「大丈夫」がもっと力を持っていたらよかった。
体質の違いもあるから「大丈夫」と言いきることが不安だった。
症状のつらさは本当にはお互いにわからない。
彼女の不安に、寄り添えなかったなぁ。
ごめんなさい。
ちなみに、もう1人同じ虫に喰われた子がいたんですが、
私も同じ虫に刺されて、とにかく冷やして腫れが引くまで我慢!と伝えると
「よかった、安心しました」
と言ってくれました。
自分だけが辛いわけではないことや
なんの虫に喰われたのか
どう対応したらいいのかを知るだけでも
安心してその症状に向き合える人もいるのです。
面白いなぁ。
まだまだ未熟だなぁって
こうして日々の気付きの中で学んでいくんですね。
後悔の念からか、私も腫れが引きません笑
患者さんに見せたら「やごかねぇ?」って。
患者さんが田舎で過ごした頃の昔話を聞かせてくれました*